2026年2月2日 仏法と私と君の明日

 言語の第三の役割を、受け入れるほどに、体現するほどに、
 私の心底に降り積もる、明らめた智慧の落陽に、温められた。
 歪な唯識、清廉な唯識を離れて、ただ在るだけの私。
 君が学んでくれた事が、嬉しかった。
 後の世に続く人に、何かを伝えて、教える事は、
 今までの私には体現し難い善行だったから。

 不可思議な事に、私は法の一部としての一切皆苦に学ぶほど、
 敢えて艱難辛苦を受け取る事も、身を投じる事も無くなった。
 君にも解りますか、茨の花を手に取ろうと動き出せば、
 数多の傷を負うけれど、茨に囲まれた中で花を臨めば、
 自身がただ在る唯識のみに生きられる。

 不退転の誓いを立てずとも、君は不退転に至れる。
 法を学ぶ段階を、暮らしにて実行する段階を、
 そして苦も無く繰り返し、努める段階へと重ねる内に、
 自身が意識する事も無く、不退転は自らが体現するのだ。
 私は仏法に傾倒しながら、君と再会できた。仏法に迷っていた君に。
 全て必然だったのでは、思し召しだったのではと胸に沁み入り、
 今はただ君との思い出を振り返る。

 私は残酷だった。怒りを抱え、赦しに努めて、
 修羅を克服した積もりでいながらも、不発弾の様な爆発により、
 多くの人達との御縁を拒んできた。
 その中に、君の名前も連ねられた。
 今となっては、君の成長を喜ばしく思うばかりだ。
 いつかまた、どこかで逢えた日には、声を掛けるよ。

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