もしも、私の命を均等に分け与えられるなら、誰に手渡す。
生まれ落ちてから、出逢い関わってきた人の全てに分けます。
私は文章を書くだけの馬鹿者ですが、愚者ではありません。
利己心だけに生きられるほど、道理に暗くないのです。
それが、私があの若者に教えた、善の体現のひとつです。
ですが、唯物世界に於いて、命を均等に分け与える事は、
神仏が原初の人間を生む事よりも難しくて、ですから、
私は考えました、自身の持ち得る全ての善を、
文章を書く事しかできない馬鹿なりに、無い知恵を絞って、
方便を以て説く形で、手を尽くすのです、それが文士です。
きっと、生涯を通して侮辱され続ける暮らしでしょう。
それは、人々が他者から斯様な扱いを受ける時、恐れるからです。
その恐れを取り除いてあげる、無畏施が私にはできる。
「何を根拠に」
人々は口を揃えて私に異議を唱えるでしょう。それで良いのです。
そうです、あなた達は何も根拠を持たずとも、生きながらに恐れる。
そうです、私が何も根拠を持たず、無暗に恐れない事と等しく。
人のためを想った時、人は、利己心のみで動く時よりも比べ物にならない程の力が発揮される。
いや、与えられるのです。
その所以をご存じですか。無私の行いは、全ての人への行いなのです。
では、私が無私の行いとして、詩作を続けたら、どうでしょう。
文学に生きる、あと数十年の間、どれだけの力を発揮できるでしょう。
私にはできる。私以外には、我が務めに励める者がいないのですから。
