かつて私は、コラムを書く勤めで食っていた時期があるが、その時期にひしひしと感じていた脅威が『言葉狩り』である。無論、私とて差別の意図があって放送禁止用語を用いたい訳ではなかった。アフリカではポリオワクチンが行き渡らない家庭もあり、その為に身体に麻痺が生じる人が、ごく自然に村に生きている。その事実について、私なりの倫理観を以て肯定するために、コラムの題材に執筆していたところ、上司から強い懸念を持たれた事がある。
アフリカの貧しい地域では、ポリオワクチンを接種できず、下半身を引きずり、地べたを這いつくばり、泥に塗れて生きる子供も大人もいる。その全員が、仕事に就ける訳ではない。致し方なく、乞食となった者達は、路上に座って、通りすがりの人々の施しを受けて「ああ、これだけあれば今日一日を食い繋げる」と安堵を覚えて、家や寝床に帰るのだ。日本では、物乞いに通貨や食べ物を施す習慣が非日常化しているため、路上に乞食がいる事も、ポケットの中の小銭を渡す事も、食べ物を分け与える事も、抵抗や違和感があるのかも知れない。
私の父が若いころ、セネガルにて勤め始めた頃の話をしよう。父は、上司の家に招かれて、手料理を振る舞われる予定だった。上司の家の玄関を前にした時、上司は外に向かって大声で言った。
『おい!飯も食わねえでベラベラ喋っていたら死んじまうぞ、こっちにきて飯を食え!』
声を掛けられた男性は、常に何かを喋り続けていて、父は奇妙に思ったが、食事を共に囲んだ時に、その男性が話している言語が『フランス語』である事実に気が付いた。父も協力隊を通してアフリカで働く為に、フランス語を学んでいたため、理解できたのだ。つまり、この変わった言動の男性にとって、この貧しい地域でフランス語を学ぶ為、大学にまで進学できた証であった。食事の後、上司は男性に「また食いに来いよ」と一言声をかけて、男性はまた独り言を呟きながら村を歩き回った。上司は、私の父に事情を話した。
「彼は猛勉強をして良い大学にまで進学して、卒業して、公務員になったが、心を病んでしまい、今では毎日フランス語を喋りながら歩き回っているんだよ。けれどね、彼が飢える事は無い。村の皆で支え合って生きているんだよ」
……といった旨のコラムを書いていたのだが、私の上司が持った強い懸念とは何か、読者には解るだろうか。『乞食』と『物乞い』の二つの単語だ。これらは放送禁止用語として、或いは自粛語として、日本社会の公的な場や、私的な会話からも滅ぼされようとしている。この事実に、私は激しい憤り……と以前なら言いたいところだが、静かな、とても静かな哀しみを覚える。戦後、日本は町々から乞食を消した。言葉として使う事も忌避する様に教育した。では、今の日本は、その歪な努力の結果、言語的に明るい現在を手にしただろうか。差別用語の代わりに『ホームレス』という単語に置き換わっただけで、人々が持つ想念的攻撃性は、社会上の位置づけは、微塵も変わっていないではないか。
言葉を狩れば、その言葉が表していたものは消えるのか。その言葉が表していた苦しみは消えるのか。
「この言葉は使わないようにしましょう」と教育の現場で教えても、私は無駄であると考える。子供は利口で残忍だ。代わりに、使用が制限されていない他の言葉で差別やいじめを続ける。これは、知的障碍者に対する差別用語、侮辱語の歴史を見ても明らかな事実だろう。
言葉狩りを行い、放送禁止用語を生む事で自己満足してはならない。教育やメディアが人々の心に浸透させるべきものは「代わりの侮辱語」ではなく「人を侮辱したくない」という一条の倫理、その光であるべきはずだ。