2024年10月10日 父と『ありがとう』を叫んだ日

今は、ただ、ぎこちない照れ笑いをしながら、
家族達に、お礼を言いたいだけの、馬鹿息子。

「桜の精、ありがとう──」父と二人で地元の山に登った時、満開の桜が美しかった。父は、森を染める緋寒桜に向かって、大声でお礼を叫ぶと、私に向かって微笑んだ。「家の中で発作を起こした時は、いつも罵倒語を叫んでいるのだから、お前もたまには『ありがとう』って叫んだらどうだ」彼が私に教えてくれた心を、私は今に至るまで、活かせているだろうか。しかしあの春、私も腹の底から桜に向かって、お礼を伝える事ができて嬉しかった。何より、愛情深い父の子である事に、無量の幸せを覚えていた。

「ありがとう──。ほら、お前も『ありがとう』と叫べ」私が実家に暮らしていた当時、苦しみを伴う突発的な記憶の発作に耐えていた、あの日々に、私はこの場にはとても書けない罵倒語を自室の中で叫び、記憶から生じる感覚を紛らわせるために必死だった。あれは、二十歳になった直後の事だった。いつもの様に、真夜中の発作に苦しむ私は叫び散らかしていた。すると、父がドアを勢い良く開けて、天井に向かって大声で「ありがとう」と叫んだのだ。普段は物静かな父の行動に驚いていると、彼は私にも、同じ様に叫べと促した。疲弊しきっていた私は、ガラガラに擦れた小声で、ありがとう、と呟いたが、父は愛を以てして叱ってくれた。「普段から凶暴な言葉を大声で叫んでいただろう、大声を出せ、正しい言葉を叫べ」二人して、ありがとう、ありがとうと繰り返していると、発作によって何年も家族を苦しめている自身に対して、無力極まりない自己の在り方に悔しくなり、涙が溢れ、嗚咽を堪えきれなかった。父は私を抱きしめて「大丈夫だ、大丈夫だから、後もう少しだ」と励ましてくれた。

 人間不信、猜疑心、疑心暗鬼に正気を失った私は、深夜に町へ出た。目を覚ました父が、もう遅い時間だから眠って休みなさい、と落ち着くように説得してくれても、私は聴く耳を持たなかった。彼は「じゃあ、お父さんも一緒に行こう」と疲れ切った体で散歩に同行してくれたのだ。──底なしの愛を思い出しつつ、今こうして文章を書いている私自身、家族に対して申し訳ない気持ちと有難さで、視界が滲む──。静かな街中を散歩しながら、私は誰にという訳でもなく独り言で、人間を信じてはならない根拠を並べ続けていた。最後に「人間は皆、敵だ。味方なんて一人もいない」と吐き捨てると、父は立ち止まり、笑顔で「お父さん、お前の味方だよ」と寄り添ってくれたのに、私は、なんと馬鹿な事をしたのだろうか。私は首を横に振ってしまった。それでも彼は、咎める言葉などひとつも言わず、ただ微笑んでいた。親だって人間だ。つらいこと、苦しいことは、全てその心に痛みを与える筈なのに、それでも、変わらず愛された理由が、解っていても解らなくて、自分が情けなかった。

 二人で散歩をした日から、一週間ほど経った時の事だった。私は、台所で家事をしている父に、あの夜の非情な行いを詫びたくて、だがそれ以上に「お前の味方だよ」と言ってくれた事が嬉しくて、お礼を伝えたかった。だが、思い出すと涙が溢れてしまい、喉が詰まって、声に成らなかった。「お父さん、ありがとう、ありがとう」と声に出したくても、空気がひゅうひゅうと通る音だけで、伝えきれなかったのだが、彼はそんな私をじっと見ていた。後日になり教えてもらった事だが、あの日の父には、私が何を言いたかったのか、確かに伝わっていた。それどころか、深夜の街中で、父に対して首を横に振った姿が、私の真情ではない事も、理解してくれていたのだ。親の心子知らず。私は幸せな馬鹿息子だ。

タイトルとURLをコピーしました