2024年10月1日 詩作を始めた春

修羅は争いを胸の内にしまい込み 倫理を片手に眠る
かの者は鏡を用いること無く 自らの心に問いただす
心が痛くて涙が溢れてくるのだが 良いのだ
生きる証だからだ 真の戦いに身を投じたのだ
臆病でも 弱くても 立ち向かい 巨悪と対峙する
巨悪とは 成長できない等身大の自分だからだ

「仲が良いのではなくて、都合が良かったんだよ」と教えられたあの日から、私は詩を書き始めた。作品の中にて、繰り返し用いてきた『修羅』の一語は、私の心の在り方を指している。仏教の世界観には、阿修羅道と呼ばれる世界がある。妄執的正義と怒りに囚われて、永遠に争い続ける。私は、自身がこの世界の住民である事に気付かされてから、詩を書く形で、自らの想念と向き合ってきた。部屋の中で、物にあたって壊すわけにもいかない。体力の続く限り叫ぶわけにもいかない。感情の昇華のためにも、物書きであった私が、詩作の道に入ったのも必然だった。

「赦す」という能動的なアクションについて、私は高校時代から考え続けていた。というのも、私には嫌な記憶が突然に鮮明な形で再現される体質があり、その度に憤怒、憎悪、恐怖といった感情に思考を支配されてしまうからだ。受け身の姿勢で待ち続けても、私には、過去を赦す事ができなかった。また、知人や友人達に「嫌な記憶をどの様に乗り越えたか」と訊いた時には、皆が同じ答えであったことにも衝撃を覚えた。「赦すというよりも、自然と無関心になり、いつの間にか乗り越えている」と答えた彼らにとって、その受動的に得た結果が赦し方であった。しかし、私には疑問と葛藤が残る。果たしてそれは、真に赦したと言えるのだろうか。ただ感情の風化を待っただけではないか。いや、それさえも叶わないから、私は修羅なのだろう。一人、詩を書き始めた春であった。

 自らの正しさを主張するために、醜い詩を書いた。過ちを認めるために、悔しい詩を書いた。怒りを燃し尽くすために、激しい詩を書いた。是が非でも赦したくて、真情のままに詩を書いた。この暮らしを続けて三年目に達した時、私は学生の頃からの夢であった、詩集の出版が叶った。同時に、文字通り一日たりとも忘れることが無かった本願を叶えた。皆を赦す事が、できたのだ。嬉し涙が頬を濡らし、私は思い出の全てが愛しくなり、家族と相棒以外にはその事を教えず、ただ記憶を抱きしめてあげた。

 怒りと孤独に耐え切れず、どうしても叫びたかった時には、真夜中の防波堤に足を運び、どす黒い海に向かって何度も叫んだ。その度に、警備員が背後から懐中電灯で私を照らすのだが、咎められることも、制止されることもなく、放っておいてくれた。それが、あの日々の私には嬉しかった。「ああ、若者が夜の海に叫んでいるだけだ」と察してくれただけで、有難かったのだ。御礼参りと表現をしたら大袈裟かも知れないが、私は今年の春に、その防波堤に赴き、頭を下げた。絶望を繰り返した夜半の葛藤に想いを馳せながら、訪れた海原は、潮風が暖かく穏やかで、陽光を弾き、金銀の輝きで、どこまでも満たされていた。

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