言語の第三の役割を、受け入れるほどに、体現するほどに、
私の心底に降り積もる、明らめた智慧の落陽に、温められた。
歪な唯識、清廉な唯識を離れて、ただ在るだけの私。
君が学んでくれた事が、嬉しかった。
後の世に続く人に、何かを伝えて、教える事は、
今までの私には体現し難い善行だったから。
不可思議な事に、私は法の一部としての一切皆苦に学ぶほど、
敢えて艱難辛苦を受け取る事も、身を投じる事も無くなった。
君にも解りますか、茨の花を手に取ろうと動き出せば、
数多の傷を負うけれど、茨に囲まれた中で花を臨めば、
自身がただ在る唯識のみに生きられる。
不退転の誓いを立てずとも、君は不退転に至れる。
法を学ぶ段階を、暮らしにて実行する段階を、
そして苦も無く繰り返し、努める段階へと重ねる内に、
自身が意識する事も無く、不退転は自らが体現するのだ。
私は仏法に傾倒しながら、君と再会できた。仏法に迷っていた君に。
全て必然だったのでは、思し召しだったのではと胸に沁み入り、
今はただ君との思い出を振り返る。
私は残酷だった。怒りを抱え、赦しに努めて、
修羅を克服した積もりでいながらも、不発弾の様な爆発により、
多くの人達との御縁を拒んできた。
その中に、君の名前も連ねられた。
今となっては、君の成長を喜ばしく思うばかりだ。
いつかまた、どこかで逢えた日には、声を掛けるよ。
